【山鹿素行】武士道と士道はどう違うのか【古学】

 今回のテーマは「【山鹿素行】武士道と士道はどう違うのか【古学】」というお話です。

 今回は江戸時代でやり残した部分をやります。江戸時代の思想についてです。

江戸時代に発達した学問といえば、「儒学」です。鎌倉時代に仏教が日本で発展したように、江戸時代も儒学が日本で発展しました。

しかし、一口に儒学といっても日本で流行したのは大きく3系統に分けられます。

それは朱子学派」陽明学派」、そして今回紹介する「古学派」です。

儒学」とは中国の孔子の教えをまとめた論語を解釈した学問ですが、朱子学陽明学はその弟子達が解釈した学問になります。朱子学なら朱熹という人が、陽明学なら王陽明という人が解釈した学問です。

 そして日本では朱子学林羅山が、陽明学中江藤樹が受容し、体系化していきました。しかし、孔子の教えを朱熹王陽明などの弟子の解釈から間接的に学ぶのではなく、孔子の教えを直接学ぼうとする人々が現れました。これが古学派の人達になります。以下、儒学3系統の代表的な学者をまとめた表を載せておきます。

儒学
朱子学陽明学古学派
朱熹」が解釈した学問王陽明」が解釈した学問孔子の教えを直接学ぶ
小林惺窩中江藤樹山鹿素行
林羅山熊沢蕃山伊藤仁斎
木下順庵大塩平八郎荻生徂徠
新井白石吉田松陰 

  今回は古学の祖と呼ばれる山鹿素行(1622年~1685年)の思想についてご紹介します。江戸時代になると、家康・秀忠・家光による武断政治によって、徳川家の支配体制は完成しました。徳川家はその支配体制をさらに強めるべく法律や制度の面だけでなく、人々の精神や思想の面でも人々に封建制の思想を徹底して教え込んだのです。

 そこで利用された学問が朱子学です。朱子学は幕府公認の学問であり、現代で言う小中学校の義務教育のようなもので、就学する武士ならば寺子屋で必ず受ける学問・思想でした。

  しかし、素行はそんな朱子学を批判し、朱熹の解釈を退け、『論語』を直接学ぶことで孔子の真意を学びとろうとする古学を提唱しました。

 要するに「朱子学は弟子である朱熹が『論語』を自分にとって都合よく捻じ曲げた学問であり、実際の孔子の主張とは異なっているのでは。」と素行は考えたのです。

  素行は自らの学問を「聖学」と呼び、44歳の時、著書「聖教要録(せいきょうようろく)」朱子学が空理空論であると批判したことで、時の幕臣である保科正之らに播磨の赤穂に幽閉されてしまいます。

  素行は朱子学を批判する一方で、武家社会を肯定している点が大変興味深いです。素行は江戸時代の「士農工商」という序列のある封建制社会を受け入れ、武士が政治を行うことこそが歴史の発展であると説きました。

 その上で、江戸時代という新時代の武士のあるべき姿を士道として提唱したのです。

 武家社会を肯定する山鹿素行は武士道に代わり、士道を提唱し、武士のあるべき姿を示しました。戦国時代から江戸時代へ。時代の変化とともに「武士道と云うは死ぬことと見つけたり」の精神から「武士は食わねど高楊枝」の精神に変わっていったのです。時代が思想や価値観を生むのであり、私達はそれらの思想や価値観を学ぶことで、その時代背景を感じとることが出来るのです。

  武家社会を肯定する素行士道を唱えたことでも知られます。武士道と士道はどう違うのでしょうか。

 武士道とは、戦国時代までの精神のことで、「主君のために命を捨てる覚悟で戦いに臨むこと」という精神です。平安時代末期の平清盛の時代に公家に対する絶対的忠誠心を持った武士が生まれました。その後、鎌倉時代室町時代、戦国時代、安土・桃山時代とその思想は受け継がれていきました。

 いわゆる「武士道と云うは死ぬことと見つけたり」の精神です。

 「武士たるもの、生きることに固執し、失敗して恥じをかくような真似をしてはならない。ならばいっそ、死ぬ覚悟で戦いに臨みなさい。成功すれば手柄だし、失敗しても死ねば恥をかかなくて済む。」という何よりも恥を嫌うサムライらしい考えです。

そして織田信長豊臣秀吉徳川家康という強力な支配者の活躍によって、戦乱の世が終わり、徳川家康によって江戸時代という泰平の世が誕生します。

 戦乱の世が終わったことで、人々が戦争と死の恐怖から解放され、武士にはそれまでの仕事であり、生きがいであった「戦い」がなくなります。

 そこで素行は、主君という身分の上の者に対する忠誠心だった武士道に代わり、農民や職人、商人などの身分が下の者に対する社会の規範やルールを示す道徳的指導者となるよう努める士道を提唱します。

 すなわち、武士は今後、士農工商の頂点にふんぞり返っているのではなく、道徳的指導者であることを自覚し、人々の手本となるべく人格的修養者に励みなさいと教えたのです。

 いわゆる「武士は食わねど高楊枝」の精神です。

 武士と言っても決して裕福なわけではなく、非常に食いっぱぐれの多い職業でした。貧しくて満足にメシが食えなくても、あたかも食ったかのように楊枝を咥えるなど、武士としての品格は保ちなさいとい教えです。

 このように時代情勢が思想や学問を生むのです。逆の言い方をすれば、その時代の学問や思想を学べば、その時代の情勢を感じとることが出来るということです。

「時代が学問を生む」ということは、学問とは常に時代遅れになるということです。現代のような変化が速い時代に、学問を学ぶことはあまり意味がないのです。

いや。語弊がありました。学問とは先人達が積み上げてきた財産であり、前例がある場合には大変役に立ちます。

ところが、少子高齢化人口爆発のような人類が未だかつて体験したことがない社会問題を解決することが出来ないのです。

以上。

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