無事是名馬

9世紀半ばに,中国の臨済義玄が開いた仏教の一宗派に,臨済宗がある.禅宗の宗派である.この開祖臨済義玄の言葉を弟子がまとめたものが「臨済録」である.日本でも訳本が出ているが,残念ながら,私は読んでいない.

この臨済録に,「無事是貴人(ぶじこれきにん)」という語があるのだそうだ.日本では,この言葉を書いた掛け軸を,年末から年始に飾る家も多いという.何事も無く平穏無事に暮らせました,そして来年も暮らせますようにと,感謝と願いを込めて飾るという.私自身は,これも残念ながらこれまで見たことがない.

しかし,「無事是貴人」の原義は違うらしい.本来の意味は,拙い説明であるが,「何事も無く平常心でいられる(無事)人こそが,最もうらやましい状態にある人(貴人)である」,という意味だそうだ.このような言葉は,禅宗の言葉ということで,「禅語」という.ここに説明したことよりも,あるいはもっと奥が深い言葉なのかもしれないが,これ以上,私は説明できない.

さて,明治から大正,昭和にかけて,小説家でそしてジャーナリストとして活躍した知識人に菊池寛(1888-1946)がいる.菊池寛は,今では我が国有数の出版社となった(株)文藝春秋の設立者でもある.彼が書いた小説,「父帰る」や「恩讐の彼方に」を,読まれた方も多いかと思う.また,(株)文藝春秋は,1952年,「文学,演劇,映画,新聞,放送,雑誌・出版,及び広く文化活動一般の分野に置いて,その年度にもっとも清新かつ創造的な業績をあげた人,或いは団体を対象」として贈る「菊池寛賞」を制定している.

この菊池寛という人は,マージャンと競馬が大好きだったと言われている.特に競馬が好きで,馬を所有するほどだったらしい.すなわち,馬主でもあったようだ.この菊池寛があるとき,「優駿」という競馬雑誌に,「無事之名馬」と題するエッセイを書いた.これが現在,良く使われている「無事是名馬」の始まりだった.臨済義玄の言葉,「無事是貴人」をもとにしたと言われている.

なお,エッセイの題名に使われた「これ」は,今使われている「是」ではなく,「之」の方のであったという.また,一説によると,ある時,菊地寛は色紙に揮毫を求められ,とっさに,「無事是貴人」ならぬ「無事是名馬」と書いたという話も伝わっている.

さて,この「無事是名馬」は,病気や怪我もなく,第一線で活躍し続ける馬こそが名馬なのである,という意味で使われる.いくら時折,突出した力を発揮して優勝したとしても,怪我や病気で出走をやめることが多いような馬は,これは決して名馬ではない,ということである.

この表現,今では,競馬の馬に限らず,スポーツ選手に関してもよく使われている.卓越した技量の持ち主でも,怪我などして試合に出られないことが多いのなら,それは名選手とは言えない,怪我や病気なしに常に第一線で活躍し続けることこそが,卓越した選手なのだ,という主張である.この言葉,今では辞書にも取り上げられている.実際私が持っている「新明解国語辞典」(第4版,1989年,三省堂)にもちゃんと収録されていた.

だいぶ説明が長くなった.馬に例えては申し訳ないのだが,今年度定年退職される方々は「無事是名馬」であったのだろうと思う.退職される方の中には,これまで病気をしたことや,怪我があったかもしれないが,無事定年退職の日を迎えたということは,やはり,無事是名馬あったと言える.長い間のお勤めに,深く感謝したい.

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