「軽率な人ほど相手を論破したがる」本当に賢い人が論破より対話を重んじる哲学的な理由

自分の優位を示す「論破的思考」はデメリットだらけ

いま、「論破」という言葉が一つのトレンドになっています。

何か議論があった際に相手の意見を取り込もうとせず、論破することにこだわってしまう「論破的思考」に染まった人の背景には、「議論の場で自分の優位を相手に示したい」、「不要な意見を切り捨てて議論をスムーズに進めたい」というせっかちな欲求があると思われます。論破的思考とは、相手の意見が間違っていると感じたときに、議論の穴を攻撃する形で自分の主張の優位を示そうとする思考パターンです。

学校教育で無意識に叩き込まれる、知識をたくさん持っている人が賢いという「知識観」や、テレビのワイドショーでみられるような、過激な発言で注目を浴びる論客がカッコいいという日本の偏った「知識人観」が、「自分も相手を論破したい」という欲望を刺激してしまうのかもしれません。

ですが、相手を論破してしまうことには、次のようなデメリットがあります。●正論をそのまま言ってしまうと、逆に相手の同意を得ることが難しくなってしまう。

●論破してしまうと、相手の面子を分かりやすい形で傷つけてしまう。

●論破にこだわると、話の論点がどんどんズレてしまう。

●結果、人間関係が悪化してしまう。

このように、相手の発言の矛盾や論理の飛躍を直接攻撃する論破力をそのまま相手にぶつけても、(特にビジネスの場面においては)メリットが少ないと言えるでしょう。

独りよがりではなく「みんなで考えていく」ことが重要な時代

現在は「VUCA」(Volatility(変動性)/Uncertainty(不確実性)/Complexity(複雑性)/Ambiguity(曖昧性)の4つの単語の頭文字をとった造語)と呼ばれる時代であり、「一人で考える」のではなく、「みんなで考えていく」ことの重要性が指摘されています。「VUCA時代」とは、これまで以上に多様性の幅が広がり、未来が予測不可能になっていく時代の特質を言い表す言葉です。独りよがりの思考では、こうしたVUCA時代の複雑さに対応することができません。これからの時代において必要なのは、相手の議論の弱点を突いて自分の(一時的な)優位を示す「論破力」ではなく、お互いの議論の穴を補い合うことで、新しい洞察を共に獲得できるような「対話力」なのです。

もちろん、あまりに理不尽なことを言われたときの防衛策としては有効だと思いますが、それはあくまで「護身術」としての論破力です。

では、我々が無意識のうちに持っている論破的思考から脱却し、実り豊かな議論を可能にする対話的思考を得るにはどうすればよいのでしょうか。

相手の応答を否定せず、「疑問文」から入る

「対話的思考」とは、誰しもに「思考の抜け漏れ」があることを想定しつつ、「問いかける」という仕方でお互いにその抜け漏れを補い合う思考パターンのことを指します。対話的思考へと自らの思考習慣をアップデートするためには、論破的思考の特性を見抜き、それを克服しなければなりません。

そこでまずは、論破的思考から脱却するための一番シンプルな原理を解説します。

それは相手に応答する際に、「否定文」からではなく、「疑問文」から入るということです。

議論の場面において、私たちはしばしば相手の発言に違和感を覚えることがありますよね。「なんでこう思うんだ?」、「いきなり何を言い出すんだろう」……などという様に。

こうしたとき、私たちはとっさに「そうは思いません」、「それは違うと思います」などと否定的に返事をしてしまいがちだと思いますが、これは非常にもったいない思考習慣です。

なぜなら、違和感を覚えるたびにいちいち相手を否定するようなことを言っていたら、相手はあっという間に議論する気力を失ってしまうからです。ひどいときには、お互い感情的になって、議論が全く進まなくなってしまうこともあります。これは、議論が進まないという意味でも、時間の浪費という意味でも、全く生産的であるとは言えません。

このように「なぜそう考えたのだろう」と不思議に思ったのなら、否定文で相手を否定する前に、「どうしてそのように考えたのですか?」とそれをそのまま疑問文にして聞き返してみましょう。問いを投げかけられた人は思考を刺激され、「自分の頭で」問題点に気がつくことができますので、いきなり否定されたときよりもよほど穏当な反応を示してくれるようになるはずです。

いきなり相手を否定するのではなく、まず相手に問いかける。これが対話的思考の鉄則です。

このときに最大限注意すべきことは、相手に共感を示しつつ、高圧的に聞こえないような問いかけ方をすることです。

問いが根本になければ真の意味で思考しているとは言えない

ですが、「じゃあなんでも相手に問いかければいいのか」と言うと、そういうわけではありません。

対話的思考は、お互いのことを無批判に肯定し合うだけの思考ではないからです。

対話的思考とは、「問い」を駆使して自他の思考を活性化させる技法です。

「問いを立てる」という思考の営みは、西洋哲学の一分野である「解釈学」においても非常に重要なものです。筆者が研究する解釈学の大家であるフランスの哲学者ポール・リクール(Paul Ricœur, 1913-2005)も、人間の言葉や行動を「テクスト」として解釈することの意義を強調しています。テクストとは、ここでは潜在的な意味作用を内包する人間の働きの痕跡を指します。

リクールの解釈学において重要な洞察は、“すべてのものは解釈を要求する”というものです。私たちは、すべてを見通すような無限の認識能力を持ち合わせていません。世界の在り様や人間の思想を解釈するためには、「この言葉は潜在的には何を意味しているのか?」ということを問い続ける必要があります。ここで求められているのは、繊細に「問い」を重ね続けるという姿勢であり、決して独断的に「世界はこうなっている」と断言する態度ではないのです。

さらに、こうした「問い」を重視する姿勢は、解釈学だけでなく、ひいては哲学の営みすべてにおいて本質的な契機であると言えます。古代ギリシャの哲学者プラトンも、『テアイテトス』という対話篇の中で、「思考」とは「問答」の過程であると述べています。つまり、「問い」が根本に無ければ、真の意味で思考しているとは言えないのです。

相手を言い負かすことだけにこだわる論破的思考では、思考の本質である「問い」を生み出すことができません。

思考を活性化する3つの「問いのパターン」

では、具体的にどのような問いかけをすべきなのでしょうか。ここでは、思考を活性化し、議論を生産的にする「問いのパターン」を3つ紹介したいと思います。これらの問いは、哲学者が世界の在り様や人間の思想を解釈する際に必ず問うことをメソッドとして抽出したものです。言わば、第一級の「解釈」の出発点となる問いをパターン化したものなのですが、こうした問いは、仕事や日常生活においても即戦力的に活かすことが可能です。1.「「○○」という言葉で、どのようなものをイメージしていますか?」

2.「例えばどのような事例を念頭に置かれているのですか?」

3.「それは、他のすべての事例に当てはまりそうですか?」

議論の核となる言葉の意味合いを確認する

[1の問いの技法:「「○○」という言葉で、どのようなものをイメージしていますか?」]

議論が進まない、またはまとまらない時に、だいたい悪さをしているのは「言葉の意味合いのバラバラさ」です。同じ言葉を使っていても、私たちはたいてい、それを別の意味合いで使っています。

このような場合は、まず議論の前提を整える必要があります。「言葉とその意味」は「コインの表と裏」です。コインの表だけを見るのではなく、その裏側をちゃんと確認し合う必要があるのです。

例えば、Aさんは「勉強=教科書の暗記」と捉え、Bさんは「勉強=教養のアップデート」と捉えているとしましょう。

このとき、「勉強という言葉で、どのようなものをイメージしていますか?」と「勉強」という言葉の裏側(意味合い)をちゃんと確認しなければ、いつまでも「社会人に勉強は不要だ/必要だ」という平行線を辿ってしまいます。

そのときに1の問いを投げかけると、お互いに前提にしていた言葉の意味に気づくことができます。そして、「なるほど、その意味合いなら、相手の主張も分かるな」と腑に落ちやすくなるのです。

主張に対して念頭に置いている事例を尋ねる

[2の問いの技法:「例えばどのような事例を念頭に置かれているのですか?」]

同じトピックについて議論していたとしても、お互いに念頭に置いている事例が全然別のものだと、全く議論が噛み合わないときがあります。

あまりにも相手と意見が合わないと感じたときは、そっと一言、「例えばどのような事例を念頭に置かれているのですか?」と問いかけてみましょう。

先ほどの勉強の例で言うと、お互いに「教養のアップデート」としての「勉強」の重要性というトピックについて議論していたとしても、教養を得る目的が「効率的な仕事のため」なのか「豊かな人生のため」なのかに応じて、そのアップデートの価値や方法は大きく異なってしまいます(前者であれば、ハウツー形式で教養を得る方法が尊重されますし、後者であれば、様々な教養に触れていく機会が重要になるでしょう)。そうすると、お互いの論調がなかなか噛み合わず、歯がゆい議論の場になってしまいます。

そんなときに、「実はこの前、教養をアップデートする社内勉強会に参加したのですが、その経験が非常に仕事に活きまして、例えば○○のときに……」などと話してもらえれば、たとえ最初は相手と異なる想定をしていたとしても、相手の主張が自然と腑に落ちるでしょう。

また、相手が具体的な事例を(実は)考えられていなかった場合には、「こういった事例を想定するとどうですか?」と問いかけるとなお良いでしょう。

議論の「抜け漏れ」を防ぐために、お互いに様々な事例を問いかけ合うのは、非常に有効な手段です。そして、相手の意見に違和感を覚えるという経験は、自分の想定できていない別の領域を表していることに他ならないのです。

意見の妥当性を確かめ、主張の妥当性の幅を広げる

[3の問いの技法:「それは、他のすべての事例に当てはまりそうですか?」]

この問いが一番ハードな問いかけ(簡単に答えられない問い)です。しかし、その分だけ議論を最も鋭くすることができます。

この問いは、「思考の護身術」としても用いることができます。稀に、「自分の考えていることが世界共通の認識だ」と言わんばかりの態度で発言する人がいるのですが、こうした人に対しては、まずこの問いで相手の主張をブロックする必要があります。それでも意見をゴリ押しして来る人に対しては、上司やしかるべき第三者に相談することをお薦めします。

もちろん、この問いは護身術という意義だけでなく、「何が本質的な意見なのか?」という点を見定めていくときにも大きな効果を発揮します。

例えば、「本を読めば必ず頭が良くなる」という主張に出会ったときに、「それは、他のすべての事例に当てはまりそうですか?」と問うことは非常に有効です。なぜなら、そこから「どのようなジャンルの本でもよいのですか?」、「どのような読み方をしてもよいのですか?」という問いが派生的に提出されうるからです。

当然ですが、想定されている事例が少なければ少ないほど、意見の妥当性の幅は小さくなります。逆に、様々な視点を包含している(想定される反論に先回りして対応策や代替案を提示できる)意見の方が、妥当性の幅は大きくなります。

この「妥当性」をお互いに問いかけ合い、より「抜け漏れ」の少ない意見を導き出していくというプロセスこそが、対話的思考を用いた議論です。

一緒に妥当性の高い議論を練り上げていくのか、それとも一方的に相手の妥当性の低さを非難して終わるのか。それこそが、「対話的思考」と「論破的思考」の違いなのです。

池上彰さんや増田ユリヤさんは良いモデルケース

3つの問いかけを実践できている方として、例えば「問いかけ」を基調とした語り口をされる池上彰さんや、池上さんと共に各種メディアでご活躍されている増田ユリヤさんなどは、良いモデルケースになると思います。

議論を行うとき、人はしばしば「結論ありき」になってしまい、断定的な口調で喋り続けてしまう人が数多く見受けられます。しかし、池上さんや増田さんは「○○の場合を想定してみるとどうなるでしょう?」、「どうして○○なのでしょうか?」、「○○という経緯があるわけですよね?」などの「問いかけ」を軸に議論をされますので、対話的思考に根差した語り方・論じ方を日頃実践されている方々であると言えます。

議論とは「難しい課題」を相手にしたチーム戦である

論破できるというのは、一定のロジカル・シンキングを身につけているという意味では確かに凄いことです。

ですが、論破できる思考力があるなら、それは今すぐに対話的思考にアップデートすることができるのです。完全な人間はいませんから、思考の「抜け漏れ」をお互いに補い、問いかけ合えるような関係性の中で仕事をする方がよほど生産的で、より完成度の高い結論にたどり着けるはずです。

その意味で、対話的思考とは「共同で行うロジカル・シンキング」であるとも言えます。議論とは個人戦ではなく、「難しい課題」を相手にしたチーム戦なのです。

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